芦辺小縁の人物

真辺 貞雄 訓導

勝本町新城出身
芦辺尋常小学校 訓導
清石浜で水泳授業において、児童の救命後に殉職

 大正6(1923)年7月10日、天気の居海水浴日和だった。この日、芦辺尋常小学校の四年生以上の児童120名は、清石浜で水泳指導が行われており、少し沖合に出ていた10人くらいの子どもたちは、先生と浜に向かって泳いでいた。
 突然、起こった潮流の変化に「先生、泳げません。助けてください。」という声が聞こえてきた。真辺訓導は、素速く海に飛び込み、2人の子どものところに泳ぎ着くと、溺れつつある1人を、波と必死に戦いながら助け、すぐさま引き返した。そして、もう1人の子どもを浅瀬まで運び、死力を尽くして浜へ押しやった。その時、真辺訓導は、力尽きたのか波に引き込まれるようにして、姿が見えなくなった。子どもたちは泣き叫び、先生たちも必死になって探したが、真辺訓導の姿は見つからなかった。
 大正12(1923)年7月、多くの賛同者によって殉職碑が建てられた。 毎年、7月10日には、芦辺小全校児童、教職員で殉職碑を訪問し、冥福を祈っている。
【文:地域コーディネーター國村勉氏】

松田 春見 氏

芦辺町八幡浦出身
清石浜にて児童を救命して行方不明

 昭和30(1955)年8月16日 午後2時30分頃、八幡浦出身の松田春見氏は、芦辺浦から帰途、清石浜を通っていた。
 その時、学童2人が波にのまれた。同浦の青年たち4名が救助にあたっていたが、平素、腕に自信を持つ松田氏が、激浪の真っ只中に飛び込んで2人を救い上げた。しかし、松田氏は、折からの強い北風と引き潮のため、波にさらわれて行方不明となった。
 昭和36(1961)年10月7日、壱岐島内の多くの方々からの寄付によって、顕彰碑が建てられた。松田氏の行いは、この碑と共に、今もなお人々に語り継がれている。
【文:地域コーディネーター國村勉氏】 

松坂 直美 先生

作詞家
芦辺町深江出身
芦辺小学校校歌作詞

 1910年(明治43年)芦辺町深江生まれ
 1932年(昭和7年)~1982年(昭和57年)の50年間 有名な作詞家として大活躍された。多くの歌手に詩を書かれた。2002年(平成14年)92歳で死去。